Dijon→Port Bou
~9月22日~
成田から、サベナベルギー航空に乗って、ブリュッセル経由でパリへ。
フランス留学中の妹が、夏休みを日本で過ごしたあと、弟と二人で一足早くフランスのディジョンに行っていたので、私はあとから追いかけるかたちで出発。
そして、妹とはパリ、弟とはディジョンで合流してからは、妹&弟と3人で8日間のヨーロッパ一周旅行を楽しみました。
サベナの機内では一人の時間を満喫し、乗り継ぎのブリュッセルでも暇を持て余したりせず、あっという間にパリに着いたのですが、空港で無事に妹と会えてホッとする間もなく、ディジョン行きのTGVの時間が迫っていたので、ダッシュでメトロのチケット売り場に向かうことに。
チケットを買って、ギリギリのタイミングでリヨン駅行きのメトロに飛び乗り、乗り継ぎがうまくいかなかったらアウトという状況も乗り越え(運よく高速特急に乗れた)、20時半発の最終のTGVに乗れたときは、二人で「良かった~!!」と感激。
弟もディジョンで待っているし、パリに1泊せずに済んだので、安心して、そこからの1時間半は妹とのお喋りに花を咲かせました。
22時過ぎにディジョンに着きましたが、ディジョンは低めの建物が多く、ネオンサインがぴかぴか光って歓楽街のようでした。
タクシーで10分ほどで、妹が以前滞在していた学生寮に着き、約10日ぶりに弟と再会。
弟は、滞在中に喘息をこじらせて大変だったようで、少し疲れて見えましたが、パリやリヨンの観光は楽しかったようです。
↑ リヨン。建物の壁に絵が描いてあって面白い。
↑ 妹が滞在していた学生寮のお庭。
妹は半年前にその寮を出て、アパートを借りて一人暮らしをしていたのですが、夏休み中は1泊¥1500位で泊まることができたので、皆でホテル代わりに泊まったのです。
~9月23日~
翌朝は、9時にドアをノックされて目が覚めて、部屋の中に虫よけの薬を撒かれ、その薬が吐き気をもよおすほど酷い臭いで、窓を開けても一切ぬけなかったので、早めに支度をして、寮のカフェテリアでブランチ。
ポテト、ハム、タマゴ、チーズが入ったキッシュと、人参のソテーとパウンショコラがとても美味しく、お腹もいっぱいになりました。
午後からは、バスに乗ってディジョン観光へ。
ディジョンでは、アジア人は珍しいらしく、「あちこちから刺されるような視線を感じる」とは聞いていましたが、実際、信号待ちの車の中からとか、バスの中からとか色々なところからじろじろ見られて、何とも言えない気分を味わいました。
でも、街並みは、昨日の夜に見た景色とはうって変わって、「かわいい」という表現がぴったりの、小さくてこじんまりした感じで、お散歩が楽しめました。
↑ ディジョン市庁舎。
↑ 図書館。
↑ ブルゴーニュ大学。
↑ 裁判所。
↑ 妹が一人暮らしをしていたアパート。
↑ リベルテ通り、ブール通りなど。
↑ ギョーム門。
ディジョン観光は、妹が全て案内してくれて、言葉の苦労も一切ないので、外国にいながら日本で過ごしているような不思議な感覚でした。
17時過ぎに寮に戻ると、弟は、1日寝て過ごして体調が回復したようで一安心。
それから、シャワーを浴びて、カフェテリアでパスタの夕食を食べて、妹の友人の部屋でお喋りをしたあと、20時に寮をチェックアウトして、ディジョン駅へ。
その晩、24時半の夜行列車でバルセロナに向かうためです。
バルセロナ行きの列車は、3段ベッドが2つ入った6人用のクシェットで、私たち以外の乗客がいなかったので、手足を伸ばしてゆっくり眠れました。
鍵もかかるし、寝具も揃っていて、夜寝ている間に移動できるので、ホテル代が節約できて、夜行列車は魅力たっぷりです。
~9月24日~
ヨーロッパは日の出が遅いので、朝8時頃から、窓の外にフランスとスペインの国境の景色が見え始めましたが、荒々しい岩肌の山々や、だだっ広い原っぱが続いて「ここはどこ?」という感じ。
8時半に、国境駅のポールブー駅に着いて、バルセロナ行きは11時発だったので、弟と2人でポールブーを散策しました。
↑ ポールブー駅。
駅を出て、急な坂道や階段をずっと下っていって、あてずっぽうで道を曲がると、海の見えるところに出たので、波打ち際まで行ってみました。
砂浜でなく、大小様々な石でできた海岸と、透明度の高い水がきれいで、周囲の山と合わせて、本当に美しい景色でした。
帰り道は、少し迷ってしまいましたが、親切な人たちが助けてくれて、「Estacion?」「Si!Si!」「Gracias!」と簡単なスペイン語で会話をしたことが楽しかったです。
他にも、すれ違う人が皆、微笑んでくれたり、挨拶をしてくれて、短い時間の滞在だったけど、たくさんの温かさを感じる街でした。