1994年の3月には、2つ目の卒業旅行でパリに行きました。
パリへは、アエロフロートロシア国際航空という小さな飛行機に乗って、モスクワで乗り継ぎをして、23時半過ぎに到着し、バスでホテルに向かうと、現地係員の人がフロントで困っていて、なんと7人中4人の予約が取れていないというハプニングに遭遇。
幸い私たち3人の予約は取れていたので、その後のことは分からないままお別れとなりましたが、一刻も早く長旅の疲れをとりたいときに、こんな災難に遭うなんて気の毒でたまりませんでした。
1日目
朝早く起きて、パリ市内を観光しました。
空は曇りで白く、風も強く冷たいので、かなり寒いと感じましたが、街中はどこも素敵な景色ばかりで、石造りの建物が大好きな私は、沢山歩いても少しも疲れませんでした。
↑ オステルリッツ駅。
↑ オステルリッツ橋。
↑ バスティーユ広場。
↑ ヴィクトルユゴー記念館。
↑ パリ市庁舎。
↑ セーヌ川。
↑ ノートルダム寺院。
一部修復中で残念な見た目でしたが、これが人の手で造られたのだと思うと感動しました。
ここにたどり着くのに結構苦労して、私たちはフランス語ができないので、英語のできる人をつかまえては案内をしてもらい、ある女性が親切に身振り手振りで教えてくれたときに、英語の合間にフランス語が聴こえて、それが場所や建物の名前かと思って「Where is ゴーシュ?」と聞いたら、ゴーシュはフランス語で左という意味だったことが分かり、皆で大笑いしたことをよく覚えています。
2日目
今日も朝から観光に出掛け、まずは巨大なアーチの凱旋門を見に行きました。
この目で見た凱旋門は、本や映像で見るよりはるかに素晴らしく、ずっと見ていたいなと思うほどでした。
そこから、シャンゼリゼ大通りを端まで歩いて、途中にあるお店を色々とのぞくのも楽しく、疲れ知らずで、心をときめかせながら歩きました。
↑ プチ・パレ。
↑ オベリスク。
↑ コンコルド広場。
シャンゼリゼ大通りを端から端まで歩いたら、お昼の時間だったので、友人のお父様オススメのラーメン屋で昼食をとり、美味しくて体も温まって良かったです。
午後も、またシャンゼリゼ大通りを散策し、オペラ座周辺にいくつかデパートがあったので入ったら、同じ短大の人がいてびっくりしました。
3日目
この日は、朝一番でルーブル美術館へ。
そこまでメトロで行ったのですが、列車のドアを自分たちで開閉することにドキドキしたり、途中の駅から陽気な音楽隊が乗り込んできて、結構混んでいるのにトランペットやアコーディオンで演奏していたことが面白かったです。
ルーブル美術館では、有名なモナ・リザの絵や、ミロのヴィーナスの周りは人が多かったのですが、他は美大生のような雰囲気の人たちが、壁に飾られた絵とほぼ同じに見える絵を描いているのが、あちらこちらで目につきました。
気合いを入れてくまなく見学しようと思いましたが、30万点もの作品があるので、その場で見て惹かれたものや、有名なものを中心に自分たちのペースで鑑賞し、またいつの日か来られたら良いなと思いました。
お昼は「アンジェリーナ」で食事をし、こってりとした味とボリュームの多さが、私の胃にはつらく感じましたが、店内のゴージャスな内装などにうっとりして優雅な気分を味わえました。
4日目
この日は、午前中にマドレーヌ寺院と大統領官邸のエリゼ宮を見てから、ロダン美術館へ。
↑ マドレーヌ寺院。
↑ エリゼ宮。
↑ ロダン美術館。
普通の家をそのまま使ったような雰囲気が温かく、庭に有名な彫刻が幾つもあって、話しかけてきたフランス人男性とのお喋りも楽しく、居心地がとても良かったです。
午後は、ヴェルサイユ宮殿への現地ツアーに参加するため、集合場所まで歩いたところ、サンジェルマン大通りで犬の糞を踏んでしまいました。
パリ名物なだけあって、3人揃ってそれぞれ別の場所で踏みましたが、あの何とも不快なぐにょっとした感触は忘れられません。
↑ ヴェルサイユ宮殿には、バスで20分位で着きました。
中に入ると、想像以上の豪華さと贅沢な空間に圧倒され、有名な「鏡の間」や「王妃の寝室」を見たときは、一晩で良いからここに泊まらせてほしいと思いました。
↑ 鏡の間。
↑ 王妃の寝室。
↑ お庭も広くて、じっくり見たかったけど、集合時間が迫っていたので、パパッとしか見られず残念でした。
夢見心地でバスに戻り、車内では、ガイドさんに簡単なフランス語を教えてもらって、「Merci(ありがとう)」「Pardon(すみません)」「Un the,sil vous plait(お茶をお願いします)」など少しずつ使える単語が増えたので、3人ともフランス語が好きになってきました。
5日目
この日はまずエッフェル塔へ。
朝から天気が悪く、塔の上の方は雲で隠れてしまいましたが、せっかくなので一番上まで上ってみました。
上からは、この数日間で見た沢山の建物が見え、エレベーターのお姉さんには「こんにちは」と日本語で挨拶されて「1か月、日本にホームステイしました。」と上手な日本語が聞けて嬉しかったです。
夕方は早めにホテルに戻ったのですが、メトロに乗ったとき、有名なキセルの光景を見ました。
ちょうど学生の帰宅時間だったようで、そこらじゅうに若者がいて、みな平気な顔で自動改札を通り抜けて行くので、あまり悪いことをしているように見えないのが可笑しかったです。
帰宅後は、部屋でテレビを見て過ごし、画面の右上に723という数字が表示されるのは、7時23分を表していると気づいたことや、ニュースを読む女性キャスターのフランス語の美しさにほれぼれしました。
最終日
6泊した「FOLIO」というプチホテルとお別れする日が来ました。
毎朝毎晩、フロントの人とフランス語で挨拶をしたこと、朝食のレストランでバゲットとショコラを頂いて、ウェイターさんが3人の飲み物の好みを覚えてくれたこと、ドイツ人の夫婦と毎朝顔を合わせて仲良くなったことは良い思い出です。
パリを離れて、1週間ぶりにアエロフロートロシア国際航空でモスクワに向かい、そこでは3時間も乗り継ぎが遅れたり、成田までの飛行機では、前後左右の席を某宗教団体の信者に囲まれ、少し奇妙な空気の中で過ごしながら、初のヨーロッパ旅行を終えたのでした。