石垣島旅行⑤ 2019.JUL

再びプールへ

3日目は、朝一番にミンサー織りのコースターを受け取って、そのまま石垣島ビーチホテルサンシャインのプールへ。

↑ ブルーと黄色のきれいなコースターが出来上がりました。

↑ 名前入りの修了証書ももらえます。

↑ この日も朝からよく晴れて暑く、夫も娘も早めに切り上げないと全身火傷になってしまうと感じたようで、プールは1時間だけで終わりに。

それから離島ターミナルの駐車場に向かい、車を停めて外に出たところ、クラクラするほどの強い日差しに家族皆で言葉を失いました。

13時半発の高速フェリーで竹富島へ行くことは楽しみだったはずなのに、そこでの地獄の暑さを想像すると行きたくなくなってしまい、帽子を持参しなかった夫と娘も「さすがにヤバイ」と売店で帽子を購入したほどでした。

↑ お昼は、離島ターミナルから近い「八重山そば夢乃屋」というお店に入り、夫はポーク玉子定食、娘は八重山そば、私はゆし豆腐そばを食べました。

↑ 市街地を散策するのも無理な暑さだったので、730記念碑(終戦後から右側通行となり、1972年に沖縄が本土復帰しても右側通行のままだったのが、1978年7月30日にわずか8時間ほどで左側通行に戻ったことを記念して建てられたもの)だけ見学して、あとはひたすら離島ターミナルのロビーで涼しく過ごしました。

↑ 船に乗る前に、具志堅用高モニュメントで記念撮影。

↑ 石垣島からたったの10分で竹富島に到着します。

竹富島で遊ぶ

竹富島に着くと、まずは水牛車観光の場所まで案内されました。

水牛車に乗るのは7年ぶり位ですが、沖縄本島の本部でフクギ並木を散歩する5、6人乗りの水牛車しか知らなかったので、20人乗りくらいの竹富島の水牛車の大きさにびっくり。

私たちは「ゆい」という名前の札が付いた水牛車で出発。

↑ シーサーといえば対のイメージですが、竹富島ではお尻を上げたポーズの1頭が屋根瓦の真ん中に鎮座したものが沢山見られます。

尻上がりシーサーといって、尻上がりに良くなるようにという願いが込められているそうです。

↑ 木で出来た電信柱もあちこちにありました。

↑ 左右に手積みの石垣がある狭い小道を進むのですが、水牛は内輪差まで考えて上手に角を曲がります。

↑ ガイドさんが三線を引きながら島唄を聴かせてくれたのも良い思い出になりました。

↑ 竹富島には信号もなく、交番もないとか。

↑ のどかな景色を堪能して、最後は記念写真をもらって終了。

次はレンタサイクルで、近くの海辺を目指すことにしました。

↑ アスファルトでない白砂の小道は、自転車のタイヤがとられそうな深いところもあって、バランスをとるのに苦労したりしました。

とにかくジリジリと太陽が照りつけて肌が痛く、玉の汗をかきながら自転車をこぐのは苦行のようでした。

↑ 最初に着いたのが西桟橋で、ちょうど干潮のタイミング。

↑ 私は、普段だったら「せっかく訪れたなら見られるものは何でも見たい」と思う性格なのですが、このときばかりは体力的にも精神的にも限界を感じ「もうコンドイ浜とカイジ浜には行かずに帰りたい」と音を上げてしまい、夫も娘もそこに反対はしませんでした。

↑ でも、帰りは帰りで、もともと極度の方向音痴で地図も読めない私と、暑さで思考能力が衰えた夫とで「え~、これどっちよ?!」と道に迷い、ふらふらになりながら何とか集合場所に辿りついたのでした。

それからはさんぴん茶をがぶ飲み&棒アイスも食べて汗をひっこめ、30分以上かけてようやく回復。

↑ 娘は、帰りの船で爆睡でした。

↑ 船を降りたあと、再び具志堅用高モニュメントでぱちり。

↑ 街中にも顔出しパネルがありました。

具志堅用高さんが偉大なスーパースターなのがよく分かります。

夕食は、友人のおすすめの石垣牛のお店「金牛」を17時半に予約していたので、それまでの時間を使って琉装体験をすることに。

琉装体験

私の旅の楽しみといえば、その土地ならではの民族衣装を着ることです。

夫は「また着るの?もう琉装は何度もやってるじゃん!」とまさか石垣島でもやらされるとは思っていなかったようですが、成長の止まった私たちと違って娘の着物姿は変わるわけですから、私にとってやらない選択肢はありません。

↑ 娘がピンク色と白色の2枚の着物を着たのを見て、その成長を実感できました。

私はピンク色は幼女のイメージ、白色は少女のイメージがあって、2歳のときはピンク色がよく似合っていたけど、9歳の今は白色がしっくりきたのです。

夫は派手な顔立ちによく合った衣装を着こなし、私も大好きな黄色の着物が着られて、良い家族写真が撮れました。